終. 原因を考えれば、幾つか挙がるだろう。 どの回答も正解であるとも、そして否とも言えない。 そもそも、一つの原因でそうなったとも限らない。 様々な事象が重なり合って、今というものが成り立っているのだから。 きっかけなんて、どうでもいい。難しいことは学者にでも任せておけばいい。 理由は後付けのものであり、気に入らない結果を受け入れるために存在するのだから。 落ちた。 それは、たった一単語で表現することができる。 落っこちた。 表現の微妙な違いで、ニュアンスを変えることもできる。 落下した。 が、そんなことは大した問題ではない。 消えた。 つまりは、そういうことだ。 〇. 無音。 静かに漂う空気。 壁に枠。それを覆う幕。 そこから漏れる、やわらかい光。 テーブル。椅子。カップ。床。ベッド。 小さな小屋の中を、ゆっくり照らしていく。 ちゅんちゅんちゅん。 音も漏れてきた。 木製の箱。大き目の丸いプレートが貼り付けられている。 1から12までの数字が円陣を組んで、等間隔に配置されいる。 その中央に2本の針が付いている。 中の歯車が回る。 かたかたかた。 長い方の針が少しだけ右に回って真上を指した。 ぱたん。 プレートの上にある小さな窓が開く。 …ぽっぽー。 小さくて白い物が飛び出し、音を出した。 …ぽっぽー。 鳴くと同時に、羽を広げる。 …ぽっぽー。 箱の中に戻る。窓も閉じる。 …ぽっぽー。 鳩。再来。 …ぽっぽー。 正確なリズムで、決められた数だけ鳴き続ける。 …ぽっぽー。 それは、来訪を知らせる。 …ぽっぽー。 朝と呼ばれる時間の訪れ。 一. 「んー、今日もいい朝だね」 背伸びをしながら、目覚めたことを鳩時計に知らせる。 カーテンを開ければ、朝の日差しと共に風景が飛び込んでくる。 いつも通りの、何も変わらない世界。 あたしはベッドから飛び降りると、軽い眠気と戦いながらキッチンへと向かう。 オーブンの蓋を開けて、ほかほかのパンを取り出した。 淹れたての紅茶と一緒にテーブルに並る。 部屋の中が、朝の匂いで満たされていく。 「今日は、どうしようかな」 様々な所にある『朝』を満喫しながら、今日の予定を考える。 何かヒントがないか、窓の外を覗いてみた。 地面は真っ白。 雲のような、もわもわとした感じ。 空は真っ青。 所々に小さな星型や丸い、何かが浮かんでいる。 何かが、きらっと光る。 三日月型をした何かから、雫が落ちる。 ぽちゃん。 地面と空の間に。 「……今日は、海で釣りをしようかな」 二. 白い地面が途切れる。 その下には蒼い何かが広がっている。 海と呼んでいる場所だ。 地面のふちに腰をかけて、つりばりを垂らした。 波紋がゆっくりと大きな円になって、やがて消える。 ……。 足をぶらつかせる。 …………。 今日は、調子がわるいのかな。 ………………。 空を見上げても、何一つ変わらない。 ぽちゃ。 水面が揺れだした。 かかった。 でも、焦ってはいけない。チャンスは、ほんの一瞬なのだ。 ……。 ……ぴくっ。 「えいっ」 ざぱーん。 蒼を割って、それは飛び出した。 どさっと、後ろに落ちる。 それは、男の子だった。 茶色の髪に、青い瞳。 「……ここは?」 星屑の雫をたらしながら。 ここではない何処かを見つめていた。 三. 窓という枠で切り取られた、家の外。 白い地面が延々と続く場所。 青い大空が延々と続く場所。 他には何も無い、殺風景ですっきりした場所。 あたしたちは、ただただ歩いていた。 どれだけ歩いただろうか。 50歩? 100歩? 100万歩? もっと、たくさん? まだ、1歩目を踏み出しただけ? 「どうして、こんなに悲しい風景なんだろう」 キラキラ光る何かが、空から落ちないように堪えている。 「あたしにはキレイに見えるだけだけど…」 フワフワの何かが、地から飛び立とうと揺れている。 「…そう見えるのなら、きっとこれは悲しい風景なんだね」 あなたの手が、あたしの手を握る。 「できないのかな。草むらの上に転がって、大きな雲を真下から眺めて、風を感じること」 繋いだ手を、ぎゅっと握り返す。 「これはあなたの旅なんだから、好きなことをすればいいんだよ」 立ち止まる。 風に揺れる、あたしの服。風を感じない、あなたの服。 「こうすれば、感じるかな」 目を閉じて、背中から両手でそっと抱く。 「……草のにおい?」 あたしの髪と同じように、あなたの髪も揺れる。 足元は新緑の草。空には真っ白な雲。 そして。 茶色の何か、白い何か。 色々なものが降ってくる。 ミーンミーンという声も。 「どんなことが起こっても、少しも変じゃないよ」 新緑色の風に乗った蝉の声が響く。 ひらひらと落ち葉と雪が舞い降りる。 「ここは、あなただけの空想の世界だから」 四. 暖かい時間。 涼しい風が時折、窓からひょっこり顔を出す。 午後のお茶。 こぽこぽこぽ。 朝とは違う香りが、部屋に広がる。 レモンの輪切りを乗せて、完成。 かちゃかちゃ。 小さな音を立てながら、テーブルに運ぶ。 「おまたせ」 …ぽっぽー。 鳩が時間を知らせるために、鳴き始めた。 2回、3回…。 …ぽっぽー。 …6回、7回。 「?」 時計の針は逆戻りしていく。 くるくるくる。 のんびり午後のお茶を楽しんでいる暇はない。 急いで、朝のパンと紅茶を用意しなくちゃ。 嘘をつくのが好きな鳩のおかげで、朝は大忙し。 だけど、いいこともあるよ。 「…ねぇ、朝だよ」 もう一度。 目覚めのキスができる。 「おはよう。今日は、何する?」 五. 大きな赤くて丸い何かが、世界を赤く染める時間。 2本の釣り糸が、蒼い底に向かって垂れ下がっている。 何分も。何時間も。何日も。 あたしたちは、ずーっと空を見つめている。 「あそこには帰れないんだろうか、ぼくは」 空を見つめたまま、返事をする。 「帰れなくなったら、ここにいていいんだよ。いつまでもね」 空に張り付いた三日月型の何かからは、様々な音が聞こえてくる。 人が生きている音。たくさんの人たち。 「あっち側の一部だったってことを、まだ覚えている」 いろんな色が漏れている。人が住んでいる証。 震える三日月。震える光。 「そう、すごいね。でもね、落っこちたんだよ」 あなたは旅立った。あの有限の世界から。 「遠くて、近い昔に」 あなたは旅立った。この無限の世界へ。 ………。 長い時間を過ごした気がする。 しかし、ほんの一瞬だった気もする。 無限の世界にとっては、1秒も1億年も同じちっぽけなモノだから。 あなたは、退屈そうな表情をする。 「飽きたら、また次の場所へ旅立てばいいんだよ」 それでもあなたは。 「いや…もう少し、ここにいるよ」 ここに居つづけようとする。 ……ちゃぽん。 小さな変化。かすかに蒼が揺れる。 「いい?強く引いてきたときに、釣り上げるんだよ」 釣り糸が波紋を呼び、ゆっくりと拡がっていく。 どこまでも。どこまでも。 「……それっ!」 茶色っぽいモノが、世界をこじ開けて顔を出す。 打ち上げたそれを見て、あなたは不思議そうな顔をする。 「これが食べたかったんだね」 うぐぅ、と元気に跳ねる、餡が詰まったタイヤキ。 六. 浮かんでいるような気がする。 落ちている真っ最中のような気もする。 どちらにしても、言えることは一つ。 地面が無い。 あたしたちは、手足を広げながら浮かんでいる。 空だけの世界。 どこを見ても、空ばっかり。 雲も無ければ、星も無い。 鳥もいない。何もいない。 「この先には、何があるんだろうね」 ずっと向こうの一点に何かが見えてくる。 「広大に広がる野に、たくさーんの羊が放し飼いになっているのかな」 一点は、緑色に白のまだら模様があるように見えた。少しずつ大きくなっていく。 「…いや、ずっと空だけが続いてるんだと思う」 その言葉が発せられたのと同時に。緑色だけが、ゆっくりと空に溶けて、やがて見えなくなった。 「じゃあ…羊は空を飛ぶの?」 手足をばたつかせる羊を想像してみる。似合わない。 「羊は空を飛ばないよ。だから、落ちていくんだ。」 まだら模様、羊があたしたちの前を横切っていく。落ちていく。 一匹、二匹、三匹、四匹……。 「このまま落ちつづけたら、眠たくなっちゃうよ」 五匹、六匹、七匹、八匹……。 「やがて海に落ちるんだ。そして溺れるんだ」 空と同じ色の海に、羊たちがぶつかっていく。 その度に、青色が揺れた。 「それじゃ、可哀想だよ」 その言葉を言い切る前に、あたしたちは海に落ちた。 ぶくぶくぶく。 たくさんの泡が生まれて、そして消えていく。 たくさんの羊たちが見えた。必死で足掻いている。 がぼがぼがぼ。ごぼごぼごぼ。 疲れたのか、手足を動かすことを止める。 体をくねくね動かし始める。 少しずつだが、前に進む。 「羊は進化するんだよ。魚みたいに泳げるように」 青い海の中。息もできるし、普通に話すこともできた。 あたしたちも真似をしてみる。 くねくねくね。 「でも、結局は何も変わらないんだ」 くねくねくね。 「だって、ここには海しかないんだから」 どこまでも、どこまでも。青かった。 始. 鳩時計が何回鳴いても。 あなたはずっと、窓の外、空の浮かんでいる三日月を眺めている。 「…帰りたいの?」 隣に並んで、同じように眺めながら尋ねてみる。 「あそこに浮かんでいる『にちじょうの世界』に、帰りたいの?」 沈黙。 長い沈黙。 「……帰ってみたら、どうかな」 きっと、あそこには とてもとても大切なものが。 置き忘れてしまったものが。 あたたかいものが。 ……絆が、あるのかもしれない。 「あなたがいるべき世界は、あっちだと思うよ」 旅の荷物は、たった一つの約束。 「もし大切な何かを見つけたら。一度で良いから、ここに戻ってきて」 ゆーびきーりげーんまーん。 ……終わりのある旅路へ。 うーそつーいたーら。 ……願いを叶えるために。 はーりせーんぼーんのーます。 ……永遠に回りつづける、この世界から。 ゆーびきーった! ……あなたは飛び出した。 もしも。 もしも、あっちの世界での絆が。 ここまで届いたら。 ずっと一緒に居たいけど。 あたしは、あなたを諦めるよ。 終わることのない世界。 終わっている故に、終わることができない世界。 ここに、あなたを閉じ込めたくないから。 「……いってらっしゃい」 鳩時計が、小さく鳴いた。