これから始まるは、たとえばのお話。 おじいさんは、小鳥の歌声と窓から入ってくる光を感じました。 ああ、また今日が始まるのか。 そんなことを思いながら、ベッドから起き上がります。 健康の秘訣。 このあたりに生えている薬草をすりつぶした飲み物。 朝食と一緒に、一日足りとも欠かすことなく飲んできました。 朝食の準備が整い、椅子に座ったときでした。 おじいさんや家の中にあるもの全てが揺れ始めました。 あいつは大丈夫だろうか。 地震が収まると、すぐにおじいさんは家の外に飛び出しました。 1本の大きな木が、いつものように立っています。 花びらが散り始めた、桜の木。 少し散っているけど、まだまだ見ごろです。 おじいさんは、ほっとしました。 もう少し、桜を見ていたかったからです。 散らかった部屋を片付けます。 朝食は台無しになったけれど、桜が無事ならそれでいい。 ずっと一緒に育ってきた、大切な家族。 柔らかい風が吹いています。 桜を背に、おじいさんは本を読んでいます。 若者が宝を求めて冒険に出るという話です。 急に、腕に力が入らなくなってしまいました。 目の前が真っ暗です。 そのまま、おじいさんは二度と動かなくなりました。 崩れ落ちるとき、気がつきました。 そういえば、薬草を飲んでいなかった。 ちょっとした失敗でした。 でも、これでいいと思いました。 死んでも、この桜と一緒にいられるからです。 少しだけ、花びらが赤くなったような気がしました。 ――――たとえばのお話、おしまい。